思い出
つい4月に祖父が急死しました。末期がんで1年持つかどうか、と言われていましたが早かった。
祖母も昨年は入院していました。今でもあちこち痛むようで。さらに最近、薬の副作用で中耳炎です。
一時的なものでしょうが、耳が遠くなっている祖母はすっかり「おばあさん」です。
祖父がいなくなって寂しくて堪らないのでしょう。
6、7歳の1年半ほど両親が共働きでした。その頃、夕方には祖父母の家に行って、父が迎えに来るのを待っていました。
9歳頃引っ越したときも。作業中、祖父母の家に預けられていました。
今思えば一番いい時代でした。物知りの祖父と、料理上手な祖母が好きでした。楽しかった。
成長するにつれて、二人とは段々上手くいかなくなりました。
それでも、11歳頃は家庭内の険悪な雰囲気が嫌で、逃げる場所にはなっていました。
その頃いた猫に、気まぐれに遊んでもらっていました。まだ若かったのに轢かれて死んで、号泣しました。あんな風に、動物に対して泣くことはもうないでしょう。
中学時代は暗黒なのですが、その頃本当に上手くいかなかった(と勝手に思っている)。
祖父は年頃の孫娘にどう接していいかわからず、祖母は良かれと思って一言。
その頃も同居していて、世話を焼いてもらっている+不登校気味の後ろめたさでいっぱいでした。
結局、祖父とは最期まで分かり合えませんでした。
でも、私が一方的に思っているだけで。祖父はそんなこと考えもつかなかったかもしれません。
祖母は、私はおっとりした子だったのに、すっかり神経質な子になってしまったと残念がっています。でもかんしゃく持ちだったけどね。それでも、ちびの頃の方がよかったかもなぁ。
私は一人っ子ですが「いとこ劣等感」があるのも大きいでしょう。これは親世代の遺物であり、祖父母とそりの合わない母の言葉もあります。
特に祖父はいとこを可愛がっていたので、モヤモヤしたままでした。本当のところはもうわかりませんが。
本当に心から悲しんでいるわけでもないのに、つい泣いてしまったりして罪悪感でした。
でも、祖父の臨終に間に合ったことは幸運でした。祖父が待っていてくれたのなら、捨てたものではありませんね。
でも、世間的には黒いのかもしれない思いが、漠然と心にあります。
そしてそれも忘れかけています。
それなりに文章にできて満足しています(長い)。